Urizumについて

 

 Urizum

カテゴライズされすぎる現代に。

私たちは性別や年齢、国籍、環境、社会など生まれながらにカテゴリーに分類される。それはごく自然な事で、あたりまえにいつからか作られた概念の中で生活し、生きていく。何も疑問を待たずに。見えないところにはバグが生じ、それすら気づかずにただ生活する。数に囚われ、自己肯定は正義である。幸せを願う事は絶対でその基準は自分ではなくいつも他人であり、現代の概念。自分とは、、、

 

 

衣服を通して

衣服を纏う事で肌や感触を物質的に存在する自分の認識。同時に自分自身に意志がある事も認識する。それだけで充分であり、その行為は存在する自分に気づく。だれであるか、だれでないかは重要ではない。そんな自分自身を肯定も否定も行わずただ寄り添ってくれる衣服でありたい。

 

動詞のような衣服 garments  flowing as verbs

サブテーマでもある「garments flowing as verbs」タイトルでもあるように直訳すると動詞のような衣服。主語が変わることで意味そのものが心地よく変化する動詞。そんな動詞のような心地よく、人に寄り添える衣服を目指して。